新型コロナに感染後、ICUから退院した。救ってくれたのは「人とのつながり」だった

ニューヨークで入院した筆者の体験記。互いを守るため距離を取らなければいけない今、私たちは他の人のために何ができるだろう?
新型コロナウイルスに感染して入院中の著者
COURTESY OF KELLI DUNHAM
新型コロナウイルスに感染して入院中の著者

私は、血縁関係のないルームメイト2人と暮らす51歳だ。コメディアンとして活動しながら複数の仕事(看護や高校での仕事など)を掛け持ちしている。

たった2週間前まで、ニューヨークのアンドリュー・クオモ知事が、政治的理由で嫌いだった。

しかし今は、まるで彼に恋をしてしまった、もしくは父親として慕っているかのような気持ちだ。

何を言いたいかというと、私は典型的なニューヨーカーだ。

ニューヨークで暮らし始めて15年。それでも生まれ育ったウィスコンシン州魂が、思いもよらぬところで邪魔することがある。

先週、地元の小児科の緊急外来を訪れた時のことだ。そこは新型コロナウイルス患者用の緊急外来と化しており、私は担架に寝そべって息を切らしていた。

「これはまずいことになったぞ」という恐怖を感じながらも「どうかそんなに大ごとにしないで欲しい」と思っていた。「私をジロジロ見ないで」という恥ずかしさも感じていた。

中西部出身の人は、誰かに心配をかけるのを申し訳なく感じてしまうのだ。

病院に来る前、咳が2〜3日続いていた。息をするのがどんどん苦しくなっていたが、熱はなかったので、最初はコロナウイルスに感染しているとは思っていなかった。

それでも私は、そのマンハッタンにある病院で診てもらうことにした。そこは以前に、素晴らしい治療を受けたことがある病院だった。

恥ずかしさで顔を赤くし、酸素不足で唇の血色が悪くなった私は、赤いネルシャツを顔まわりに巻きつけていたので、スタッフの中には「中年でクィアの西部劇の銀行強盗みたいな奴が来た」と思った人もいたかもしれない。

しかしそれを指摘するような人は誰もいなかった。救急外来の看護師は「よく頑張ってここまできましたね」と簡潔に述べて、最近はどこでも手に入らなかった使い捨てのマスクをくれた。そして、私の脈を計った。

ほんの少しの間、いつもと何ら変わらない朝の救急室のようだった。しかしすぐに、プラスチックの防護具を身につけた技術者がやって来て、私の名前を呼んだ。彼女に着いてくるように手振りで指示をされ、私たちはがっちりとしたドアを通り抜けた。

「わぉ」と思わず声がでた。「ここがパンデミックを閉じ込めている場所か」

私は彼女に連れられて、不透明のカーテンに仕切られた何列ものベッドの横を通った。

仮設の小部屋にはそれぞれ、多くの器具が備え付けられていた。必死で呼吸をしている患者がおり、宇宙飛行士のような格好をした医療スタッフが付いていた。

自分の部屋に到着すると、私は担架にもたれかかった。救急室の医師は、朝9時にも関わらずニューヨークマラソンを完走したかのような疲れた顔をしていて、私の顔を真剣に見てこう言った。

「息継ぎが速いのが心配です」

私は「はい……そうですね」と答えた。気の利いたことを言って、場の雰囲気を和らげたかったが、息が苦しくてタイミングを逃してしまった。「私も....その...同感です」

疲弊していたが優しかったその医師は(名前を3回も聞いたにも関わらず思い出せない)、私に「気管内にチューブを通して気道を確保しても大丈夫か」と質問した。

深刻なことを論理的に話すには、随分と変なタイミングだな、と思ったことしか思い出せない。

「彼女は何の話をしているんだ?何かの調査か?」

しかしその時、防護服を身につけた医師たちが、部屋の外に集まっていることに気が付いた。私は不安になった。

さらに誰も保険について尋ねていないことにも気が付いた。恐怖心に拍車が掛かった。

しかし私はラッキーだった。治療の一つが効果がありそうなことがわかったからだ。そのため、医師たちは他の患者たちのケアに移った。

コロナウイルス感染者の病室に貼られた紙。「面会はできません」と書かれている
COURTESY OF KELLI DUNHAM
コロナウイルス感染者の病室に貼られた紙。「面会はできません」と書かれている

「新型コロナと推測される」とされた人たちは、面会が許可されていなかった。

そのため私は家族や友人に、メッセージを送って居場所を伝えた。携帯電話の充電器を忘れたので、姉とガールフレンドに他の人に伝えてくれるよう頼んだ。携帯を切ったあと、しばらく考える時間ができた。

ガールフレンドの笑顔を思い浮かべた。

このパンデミックの中で生徒たちがどうしているかを考えた。私のタトゥーを笑う子たちのことさえも...むしろその子たちの方が強く思い出された。

86歳になる母のことも考えた。血液疾患を患っている母は、化学療法を受け始めてから5年になる。私が先に死んだら、ひどく怒るだろう。

それが今の私の心配事だと知ったら、母はどんな笑顔を見せるだろう、とも考えた。

他に考えることもなく、苦しそうな呼吸の音(自分の呼吸も混じっていた)に囲まれると、考えないようにしていたことを考えずにはいられなくなった。

■ 思い出した、10年前の出来事

私は20年以上、看護の仕事もしている。しかし、呼吸器に関する看病は、仕事よりも私生活の方がずっと馴染みがあった。

2010年、私の当時のパートナーのシェリルが、ホジキンリンパ腫と診断された。治療を受けていれば、5年生存率が86%と言われている病だ。

皮肉なことに、病気そのものより治療によって、彼女の容態は悪化した。化学療法による副作用が、肺に及んだのだ。

症状は深刻化しシェリルは入院した。私は彼女の病室で暮らすことにした。毛布にくるまって、ベッドの隣にあるラジエーターの前で眠った。私は幸運だった。助けてくれる友達もいたし、脚も短かったから。

シェリルは3カ月の間、呼吸に苦しみ続け、なんども集中治療室に入った。

酸素マスクをつけた彼女の頰を一滴の涙が流れていくのを見ながら、「ここにいるよ!私の顔を見て!」と病室の外で叫んだ。あの時は、これ以上ないくらいつらかった。もしかしたら、彼女が私の腕の中で息を引き取った時よりつらかったかもしれない。

彼女と物理的に引き離されている自分を、とても無力に感じた。彼女のために何もしてあげられていないと感じた。

■私を救ってくれたもの

私の話に戻ろう。その後スタッフたちは、私を上の階の緊急治療室に移動させた。

それからの数日間は想像がつく通り、ひどい状態だった。呼吸に苦しみ、シェリルと過ごしたあのつらい出来事を追体験し、死を取り巻く色々な心配事が、なんども頭をよぎった。

「くそっ。誰かにFacebookのパスワードを教えてアカウントをクローズできたらいいのに」と思った。「自分のページにみんなのつまらないお悔やみのメッセージなんか書いて欲しくない」

ICUから見たニューヨーク。いつもと変わらない夕焼けが美しかった
COURTESY OF KELLI DUNHAM
ICUから見たニューヨーク。いつもと変わらない夕焼けが美しかった

隔離は身体的にもかなりのストレスが掛かったが、たくさんの人たちの優しさのおかげで、私は完全な孤独を感じずにすんだ。

ガールフレンドが電話をくれて「無理して話さなくていいよ。話さずにこのままただ繋いでおこう」と言ってくれた。

ルームメイトの2人は、私たちの飼っている猫が、おかしなことをしている写真を送ってくれた。

友達は自分たちで作った自主隔離ダンスの振り付けを送ってくれた。

看護師はモニターで生存確認するだけではなく、私の目を長めに見てくれた。

呼吸療法師は、酸素療法のときに「ちょっと怖いと思うけど」と優しい言葉を掛けてくれた。

肺を診てくれる医師は、私が冗談を言うと、例えそれがつまらなくても笑ってくれた。

1週間もしないうちに、私は退院できるほど十分に呼吸が出来るようになった。

私は幸運で、恵まれていた。私の場合は経済的に医療を受けられたし、実際に受け入れてくれる病院もあった。それは最近のニューヨークではかなり難しいものになりつつある。

病院のスタッフと同じ言語を話すから、容態が一層悪い時でさえ、自分の状態を伝えるのに不自由な思いをすることはなかった。そして、仕事も、帰るアパートもあった。

他の危機と同様、新型コロナウイルスは社会的、経済的な格差を広げている。そして、最も弱い立場の人たちを急速な勢いでさらに苦しい立場に追い込んでいる。

マクロの立場で話をすると、「チャールズ皇太子やトム・ハンクスが受けたようなケアを誰もが受けられるようにすべきだ」と思うならば、私たちは連帯してその実現のために闘わなければいけない。

本音を言えば、世界的な危機を経験するならせめてもう少し違ったものにして欲しかった。

巨大なゴリラに襲来され、壮大な音楽が流れてセクシーな衣装を来た人たちがたくさん出てきて、最後にヒーローが救ってくれるようなやつだ。

それかせめて、お互いハグをして支え合えるような内容だったらよかったのに。

だけど、ウィスコンシン州に住むの母の言葉を借りるなら、私たちが対処すべきパンデミックは、望んだ形で起きるようなものではない。起きてしまったものに対処する他ないのだ。

そして、闘いは日常の中にある。互いを感染から守るための、距離を取らなければいけない今、私たちは他の人のために何ができるだろう?

前述したように、周りの人たちが苦しい時に私を支えてくれた。しかし彼らは、自分の行動がどれだけ私にとって大きな支えになったのか、わかっていないだろう。

私もこの1週間を経験するまでは、たとえ手が届かなくてもシェリルの近くにいることで、彼女の苦しみを救うことになっているとは気付かなかった。

防護服やマスク越し、もしくはWi-Fiでの人との繋がりが、今ある悲劇を緩和するわけではないかもしれない。

しかし、繋がりは不安定な人間性を強くしてくれる。それで十分というわけではないが、それは私たちの絆を強めてくれる。

ハフポストUS版を翻訳、編集しました。