私はこのたびドイツを訪れ、混乱の続く母国から逃れてきた難民の子供たちや母親、青年に出会った。過酷な体験がありながら、取材に応じ、笑顔を見せてくれた。(前回記事:「ドイツに残りたい」イラクから逃れた16歳少女が描いた涙)
今回はシリア出身のマラさん(27)の体験を紹介する。3人の子を連れ、4人目の子がお腹にいる時にボートに乗ってきた。ドイツで出産後は、ボランティア女性に支えられている。
●独学でドイツ語学ぶ
ドイツ南西部の都市・シュツットガルトのカフェ。難民を支援するボランティアのアンドレアさんと待っていると、シリア出身のマラさん(27)が4人の子どもたちを連れてやって来た。
内戦が続くシリアの首都・ダマスカス出身。きょうだいは13歳と9歳の女子、7歳の男子に、ドイツに来て生まれた男子は2歳。写真や名前を出してもいいという。
私たちが話をする間、子どもたちはジュースを飲み、クッキーをほおばり、待っていてくれた。
「夫はシリアで機械の会社を経営していました。彼はドイツで働くため、研修を受けています。ドイツに来て2年8カ月。子どもが小さいので、私はドイツ語のクラスに通ったことはなく独学です」とドイツ語で話すマラさん。
シュツットガルトの実業学校に通う長女のシトラさん(13)が、ドイツ語を補った。
●妊娠中、ボートでイタリアへ
マラさん家族は2013年、シリアから出て、まずレバノンへ。エジプトに行き、11日滞在。リビアに2年。それから13時間、難民のボートに乗ってイタリアを目指した。
「イタリアの大きな船に発見され、救助されました。臨月で船に揺られていたんです。イタリアには9日いて、ドイツへ来ました。ミュンヘンで警察に難民だと言って、施設に案内されました。お腹が大きくて床で寝られず、別の施設に移って28日間。そこは家族用の施設で、寝られました」
その後シュツットガルトに来て、10日後に病院で出産した。2部屋ある家族の施設に入れて、1年3か月暮らした。
マラさんは、こう振り返る。「とにかく疲れました。産後は体調もすぐれないし、世話しなければならない子が多くて。ドイツまでの移動中も、ふらふらしてめまいがしていた。しかもドイツで知り合いもいなくて、とても調子が悪かったです」
●ドイツ人に出会い交流始める
産後18日のとき、アンドレアさんに出会う。アンドレアさんの職業は図書館の司書で、支援グループ「難民の友」のボランティアメンバーだ。
アンドレアさんは「家族の宿泊施設の前を通ると、1階に住んでいたマラさんと旦那さんがお茶を飲んでいた。笑いかけてきて、一緒にお茶を飲んだの。言葉がわからず、タブレットで自動翻訳を試みました。言いたいことがわからなかったけれど、コンタクトが始まりました」と笑う。マラさんが最初に知り合ったドイツ人だった。
マラさんとの出会いがきっかけで、アンドレアさんはボランティア活動を始めたという。マラさんと散歩したり、お茶を飲んだり、ごはんを食べたり。集まっておしゃべりや手芸をして楽しむ「女性の夕べ」にも誘った。子どもたちとお祭りや映画館に行き、庭でバーベキューをした。アンドレアさんの友人や家族も、一緒に交流した。
●シリアで「地下室にずっといた」
長女のシトラさんは「シリアのことを思い出しますが、友達の名前は忘れちゃった。ドイツの学校は、みんな仲が良くて、上の学年にも下の学年にも友達がいます。ドイツで大学に行って、お医者さんになりたい」と目を輝かせる。
マラさん家族は、ドイツに来て1年4カ月で難民と認められた。「本当に嬉しかった。毎日、認定を待っていました」。今は家を見つけて、難民のための施設から出た。子どもたちは学校や幼稚園に行っている。
シトラさんに、シリアでの状況を聞いた。「地下室にずっといた。家具がなくて、じゅうたんを持ち込んだの。学校も怖いから通えなくて、何カ月も行けなかった。行ける時はお父さんが付き添ってくれた」
●心のケアも大切と痛感
私の5歳の娘も、取材に同席していた。マラさんの末っ子に話しかけ、絵を描いてプレゼント。言葉はわからなくても、子ども同士の交流を楽しんだ。
1回目の記事で紹介したイラクから逃れてきた少女や、マラさん家族にとって、サポートしてくれるアンドレアさんはどれだけ大きな存在だろう。
幼い子にとっても、子どもを抱えた親にとっても、言葉がわからない見知らぬ土地に飛び込み、生活をするのは大変なストレスがある。さらにマラさんは、妊娠中にボートで逃げてきた。産前産後は、普通に暮らしていても体がきついし、精神的にも落ち込みがちだ。
10代から4人を産んだシリアのマラさんと、高齢出産で1人の子を育てるにも苦心してきた日本の私とでは、状況が違いすぎる。共感、というきれいな言葉ではまとめられないが、ぎりぎりの状態だったことは想像できる。
アンドレアさんとの何気ないおしゃべりや、共に過ごす時間が、マラさん親子の心身を支えている。子どもたちの落ち着いた様子や笑顔を見て、生活の保障だけでなく心のケアも大切だと痛感した。
●減るボランティアスタッフ
「難民の友」の活動は3年ぐらい前に始まった。ドイツに来る難民が増えて以来、ボランティアに熱心なキリスト教信者のグループもたくさんできた。
「マラさんが住んでいた施設ができてからの活動です。シュツットガルト市内には、こうした難民のためのコンテナ施設が40か所あるでしょうか。私たちは無償で活動していて、年金生活者や仕事をしているメンバーもいます。最初はたくさんいましたが、今はボランティアスタッフが減ってしまいました。まだ支援が必要な人がいる。大変な国から逃げてきた人が孤立するのは望ましくないです」とアンドレアさん。
●「難民のこと日本で知ってほしい」
この日の取材は貴重なチャンスだったと、アンドレアさんから聞いた。「他にも声をかけましたが、身元が知られると危険が及ぶ場合もあり、取材に応じられる家族がなかなか見つからなかったんです」。難民の認定を受け、部屋を見つけて生活が軌道に乗ってきたから、マラさんたちは来てくれたのだろう。
マラさんは「取材しているところを撮ってもいい?」と言って、私たちをスマートフォンで撮影していた。最後には、みんなで記念撮影をした。アンドレアさんは「写真を送ってね。日本から来たジャーナリストに話ができて嬉しい。遠い国のことだと関心を持ちづらいと思うけれど、日本のメディアを通して彼女たちの体験を知ってもらえたら」と話した。
「これからアイスクリームを食べに行くの」というマラさん親子とアンドレアさん。外に出て別れるとき、私の娘とシリアの子どもたちは、いつまでも手を振り合った。
なかのかおり ジャーナリスト Twitter @kaoritanuki
【ドイツの移民・難民】憲法で政治的な亡命権が規定されている。労働力としても受け入れてきた。1990年代、旧ユーゴスラビアから多くの難民が入る。2010年以降は中東が混乱し難民が増えた。メルケル首相は2015年、受け入れを決め100万人以上が入った。受け入れの背景にはキリスト教の考えやナチスへの反省もある。難民は生活の保障がありドイツ語を学べるが、仕事に就き定着するには課題も多い。9月の総選挙は難民問題が争点だった。